飯田のキャリアパターン

高卒フリーターからのスタート

大学生になる予定が突如フリーターに

挫折によって人生の理念が創られた

10代の頃の私は、世間の常識、両親の押し付けてくる価値観、話の通じない学校にモンモンとした不信感を抱くうち学校に馴染めなくなりました。
私は不満や疑問を外に出し主張するタイプだったため引きこもりになることはありませんでしたが、校外に理解者を求め、新宿歌舞伎町に遊びに行く日々を過ごしていました。
 
その結果、エスカレーター式に大学に進学する予定が、『あなたはこの学校に合わないので出ていってください』と追い出されてしまいました。
 
その時の怒りと悔しさから『絶対に自分の力で自分の人生を幸福なものにしてみせる!』という人生の理念のようなものが私の中に創られました。

一般レールから外れたからこそ起業を目指す

ひとりぼっちの就職活動

学歴職歴に関係なく評価してもらえる環境でステップを踏む

高校を卒業した春、私は歌舞伎町のカラオケBOXでアルバイトをしていました。自分のやりたいことも、就職活動の仕方も、世の中にどのような仕事があるのかもわからず、周囲に信頼して相談できる大人もおらず困っていました。でも「話も聞かず追い出した大人たちを見返したい」「ぼんやり大学生になっていても所詮遊んでいるだけの学生生活だったはず、人より早く社会に出て成長したい」と強く思っていました。
 
「いい学校を出て有名な大企業に就職するのが幸福である」という教育をされてきた私は、そのレールから外れると戻りにくい社会の構造にもがき悩みました。レールから外れたフリーターの私には、大企業に就職する道はありませんでした。
 
そこで、自分が幸福になれるであろう会社に入れないのなら、自分を幸福にする会社を自分でつくろう!と起業を目標にしました。そのために、まずは学歴職歴に関係なく評価してもらえるベンチャーの世界でステップを踏む道を選びました。

最初の成功体験

持っているものはやる気と熱意だけ

最初はとにかく量をこなすこと

「こんな自分が一番お金と時間を費やしていることは何だろう?」と考え、アパレルの世界が適しているのではないかと思いました。いつも足を運んでいたファッションビルに行き、「販売員さんになろうと思っているのですが、一番厳しいお店はどこですか?」と聞いてまわりました。そうして噂のお店の前に”スタッフ募集”の張り紙を見つけ、すぐに応募したのです。
 
仕事に全力投球の生活がはじまりました。閉店しても新商品の試着をしたり、顧客リストをつくったり、接客のロープレをしたり、なかなか帰らないのでビルの管理会社に度々怒られていました。ですが、1日も早く誰よりも売れる販売員になりたいと思っていたので、とにかく量をこなそうと努力しました。そのうち、私が店に出れば3倍の売上が立つという社長からの信頼を得られるようになり、自分に自信がつきました。
 
余裕が出てきた頃、自分で洋服屋を経営する起業を想像しましたが、まだ他の世界を知りたい気持ちもありました。そして本屋で起業に関する書籍を数冊手に取りました。「起業したいなら営業を経験しろ」という文言を各書に見つけ、単純な私は営業会社に転職することにしました。

販売職→営業職へ

チャレンジに挫折はつきもの

失敗を失敗で終わらせないこと

初めての転職で私がこだわったのは、まず学歴職歴性別年齢関係なく評価してもらえる会社であること、そして経営者相手の営業職であること、でした。将来社長になると決めたので、お客様が社長であれば色々学びになるだろうと考えたのです。
 
しかし、販売員としてある程度自信を持っていた私でしたが、営業の世界では苦戦を強いられました。毎日朝から深夜まで続くテレアポ、数字のプレッシャー、体力では勝てないことが明らかな男性営業マンの中に女性ひとり・・・いまいち目立つ活躍もできないまま、ある日私は「疲れた!」と言い残して会社を去り、少しの間ボーッとして過ごしました。
 
目を覚ましたのは、それまでのお客様に退職したお詫びの連絡を入れていた時です。「女性なんだから、こんなキツイ仕事しないで結婚でもしなよ」「所詮はモノだからね、経営には影響ないし、気にしないで」と、誰も怒りもしませんでした。自分の仕事は何の影響力もなかった、こんなところで負けてしまっては起業なんてできない・・・その悔しさが、もう一度チャレンジしよう、そして次は何がなんでも負けないぞと、決意を固めてくれました。

トップセールス→新規事業立ち上げ

過去に失敗しても、1度成功すれば問題なし

自分を”売れ筋”人材にすること

再度の転職は人材紹介エージェントを利用しました。やりたいこと、できること、得たい経験、出世の可能性、社風、等を考慮して入社したベンチャー企業で、二度と同じ失敗は繰り返さないぞと努力しました。スタートダッシュが大事なことはそれまでの経験から学んでいたので、とにかく誰よりも量をこなすことを徹底し、無事入社初月からトップセールスという立場を維持することができました。また、この会社で扱った商品はモノではなく販売促進コンサルティングというサービスでした。経営者と、経営そのものについて一緒に考え提案できる営業職でしたので、起業を目指す私にとって大きな学びとなったこともラッキーでした。
 
そして自分が”売れ時”であるタイミングで、新規事業立ち上げを経験するために次の環境を求めました。小さな会社の社長の側で事業立ち上げを経験できれば、起業の練習になると思ったのです。すると、社員7名の小さなマーケティング会社の社長から「人材紹介業をやりたいので、やってみない?」と声をかけていただきました。指示は「この事業を0から立ち上げ〇〇円売り上げて」のみ。非常に遣り甲斐のあるミッションでした。自分の給料についても、「これだけください」と初めて自分で値付けをさせてもらえました。体力的にもプレッシャー的にも大変ではありましたが、この会社で経験したこと、学んだことは全てがそのまま独立に活かせるものであったと思います。

株式会社ハイアートの設立→『逆転キャリア』

フリーター出身のリーダーを輩出したい!

自分の生きる意味を仕事にできることが幸福

「30歳までに独立する」と決めていましたが、結局28歳で独立することとなりました。前職の社長が上場することを決め、「役員となり上場まで働くか、いま独立するか」と選択を問われたタイミングで、私は独立を選びました。
 
社名だけは既に決めていました。18歳の時の私の誓いを込めて、”自分で自分の人生をARTする”という意味のHigh Artです。自分の生きる意味を仕事にできることは幸福なことです。こうして、自分と同じように独立起業を目指す人の人材紹介エージェントとして会社をスタートさせました。
 
ところが、人材紹介業は『年収の高い人が良い求職者』です。学歴がなかったりフリーターだったりブランクがあったりする若者が大切にされない、まるでかつての自分をバカにするような業界の慣習にのまれた仕事に、徐々に限界を感じるようになりました。起業できるのはエリートのみといった誤解も多く感じます。
 
私はかつての自分と同じような状況にあるフリーター層の人たちを押し上げたい!彼らこそが将来リーダーとなり日本経済を動かす立場に立つ姿を見たい。そのために、ただ目先の就職支援をするだけではなく、長期的なサポートの仕組みづくりに取り組みたい!と思い『逆転キャリア』が誕生しました。
 
まだまだ『逆転キャリア』は完成しておらず、挑戦中です。そして私ひとりが頑張っても全く意味がありません。皆さんの挑戦、努力があって完成できるものです。一緒に頑張りたいと思ってくれる方との出会いを心待ちにしています。